ここがポイント 統計学を知らない人々は致命的な過ちを犯してきた 複数のデータの適切な比較が問題解決につながる  「サンプリング調査」で企業の情報コストは激減する

統計学を知らない人々は致命的な誤りを犯してきた

著者は、統計学を知らずに意思決定を下すことの危険性を、実例を挙げて強調します。とりわけ衝撃的なのが、19世紀の英国での、統計学を知らなかったばかりに多くの死者を出してしまった事例です。

当時のロンドンでは、激しい下痢と脱水症状を引き起こす伝染病のコレラが幾度となく流行しました。産業革命による急激な人口増加にインフラ整備が追い付かず、貧しい労働者たちが狭く不潔な地域に集まって住んでいたからです。有効な治療法は見つかっておらず、死者は夥しい数に上りました。

コレラにかかるのは主に悪臭を放つ劣悪な環境に住む労働者だったので、医者の多くは悪臭を吸い込むことが原因だと推測しました。そこでロンドン市を挙げて、街中の汚物を清掃し、市内を流れる川に捨てたのです。その結果コレラはさらに蔓延し、死者は約7万人と前回の3.5倍にも膨れ上がってしまいました。

汚物を川に捨てる意思決定は、労働者たちが使う生活用水・飲料水をさらに汚染させてしまったのです。

コレラの流行を食い止めるため、後に「疫学の父」とよばれるようになるジョン・スノウは統計学の基本を用いて、感染の要因を調べ始めます。さらに、同じような状況でコレラにかかった人とかかっていない人を比べて「違い」を絞り込み、データを集めて検証しました。

その結果、2つある水道会社のうち、一方を利用している家庭の死亡者は、もう一方を利用している家庭の8.5倍も多かったのです。しかも2つの水道会社が使っている水にも明確な「違い」がありました。前者は汚染されたテムズ川下流域の水を、後者は比較的汚染されていない上流域の水を汲み上げていたのです。

「前者の水道水を使わないこと」──彼はそう提言し、その提言を受け入れた町では患者の数が減少していきました。

このように統計学は、「どんな分野の議論でも、データを集めて分析することで答えを出すことができる」という強みによって応用分野を広げていき、今や医療だけでなく、様々な学問分野や身近なビジネスの現場でも活用されるようになっています。

複数の統計データの適切な比較が問題解決につながる

著者は、以前出会った企業のマーケター(宣伝・広告担当者)から、ある商品の「キャンペーン広告評価レポート」を見せてもらいました。「商品の売り上げにキャンペーン広告がどれだけ効果があったのかを調べた」と称するアンケート調査で、商品購入者のうち、キャンペーン広告を「見た」「たぶん見た」人の割合は、合計で46%に達していました。

著者はこう続けます。「この結果をもってマーケターは『約半数の高い認知率を獲得しました! キャンペーンは成功でした!』と主張したというのである。(中略)おめでたいのは彼の仕切ったキャンペーンの成果ではなく、彼自身の統計リテラシーのほうなのだ」。

最大の問題は、調査の対象が商品購入者だけだったことだ、と著者は指摘します。商品購入者はキャンペーン広告を見やすい環境にあった可能性が高く、認知率が上振れすると言うのです。

著者は、非購入者にも同じ質問をして、「見た」「たぶん見た」の合計の割合を、購入者と比較する必要があったと言います。もし商品の購入者と非購入者とで、その割合に差がなければ、「キャンペーン広告の効果は無かった」と結論付けざるを得ず、「キャンペーン広告自体を考え直さなければならない」という課題が浮き彫りになります。

「ある取り組みがどれだけ売り上げや利益に貢献しているか?」「売り上げや利益が上がらないのは何が要因なのか?」──こうしたビジネスの問題解決を図る上で重要な因果関係を明らかにするには、「十分なデータ」をもとに「適切な比較」を行わなければならないのです。

「サンプリング調査」で企業の情報コストは激減する

著者はさらに「サンプリング調査」、つまり該当する全員を調査(全数調査)するのではなく、該当者の中から対象を無作為に抽出(サンプリング)して調査することのメリットを訴えます。調査し、分析・解析して問題解決につなげる企業の「情報コスト」を激減させられるばかりか、「サンプリング調査」の方が「全数調査」よりもしばしば正確であるからです。

「サンプリング調査」の優位性がはっきりと示されたのは、1930年代のアメリカで行われた失業率調査でした。当時のルーズベルト政権は、公共事業による失業者の雇用確保と景気刺激を柱とする「ニューディール政策」を打ち出すため、史上初めてとなる全米での実態調査を行いました。この時、採用されたのが「失業者全員に対して失業登録カードへの記入・及びその郵送を義務付ける全数調査」と「無作為に抽出した200万人に対して調査を行うサンプリング調査」の2つの手法でした。

数千万人を相手にする「全数調査」よりも、数百万人に対象を絞った「サンプリング調査」の方が、はるかに安いコストで済んだのは言うまでもありません。加えて「全数調査」では失業率が低く見積もられていたのに対して、「サンプリング調査」では極めて正確な数字が示されていました。「全数調査」は、職探しに懸命な失業者たちが記入を面倒くさがり、統計の正確性を損なってしまったのです。

今、ビジネスの世界で言われている「ビッグデータの活用」は、すべての問題解決に必要なわけではありません。

「商品の売り上げを伸ばすために改善すべきはデザイン、販促手法、価格のどれか」「残業が減らない原因は会議の多さか、仕事の進め方か」など、解決を図りたい問題が明確な場合には、コストの低い「サンプリング調査」でも十分大きな力を発揮することが本書を読むとよく分かります。

渋谷和宏のコレだけ覚えて!

統計学の考えは投資・運用にも生かせる

本書が解説する統計学の基本的な考えは、投資や運用にも生かせるのではないでしょうか。例えば「適切な比較」の考え方です。

投資信託などの金融商品のパンフレットや目論見書には、利回りの推移などの運用実績が数字やグラフで示されています。この運用実績が、他の同種の金融商品と比較した時にどの程度の水準なのか、注目してみるのです。パンフレットなどにはしばしば、比較対象となる他の金融商品が「A投信」「B投信」などの商品名を伏せて表記されているので、ぜひ参考にしましょう。

もし比較対象となる他の金融商品が示されていなければ、金融機関や証券会社の担当者に問い合わせてみるのもいいと思います。

保有する金融商品の評価についても同様です。仮に保有している金融商品の評価額が下がってしまったとしても、一喜一憂するだけではなく、他の同種の金融商品の値動きと比較してみるのです。それらが総じて下がっているのだとしたら、要因は市場全体の動向にある可能性が高く、相場が再び上向くのを待つのが得策だといった判断を下せます。

一方、保有する金融商品の評価額が他に比べて際立って下がっているのなら、原因を問い合わせ、場合によっては「損切りする」「買い増すことで取得価額を下げ、将来の利回り向上を期待する」などの善後策を検討するのです。

長期に地道に投資・運用する上で、「適切な比較」は冷静な判断力を育むことにもつながるはずです。

  • 2019年9月現在の情報です。今後、変更されることもありますのでご留意ください。
渋谷 和宏

渋谷 和宏

しぶやかずひろ/作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。

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