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2019.11.275分で読む、マネーの名著
「正義とは何か?
私たちは何を根拠にして、ある行為を正義だと評価し、別の行為を不正義だと断罪するのか」。
本書の冒頭で、著者のマイケル・サンデル氏は、この問いに対して誰もが納得できる答えを出すのがいかに困難かを、あるエピソードを紹介しながら私たちに提起します。
2004年夏、メキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリーはフロリダ州を直撃し、大きな被害をもたらしました。そして、通過後には被災者を狙った激しい“便乗値上げ”が横行しました。
普段は2ドルの氷1袋が10ドルで売られ、家の屋根から2本の木を取り除くだけで2万3,000ドル(約250万円)を要求する業者まで現れたのです。
この便乗値上げに対して、アメリカでは立場の異なる人たちが3つの異なる見解を示しました。
まず新聞やテレビなどのマスメディアは、多くの人々が違和感や憤りを覚えたのと同様に、便乗値上げを批判的に取り上げました。
その一方で、一部の経済学者たちは便乗値上げを擁護する側に回りました。彼らの主張をまとめると次のようになります。
「氷や屋根の修理代などが通常よりも高いおかげで、遠隔地の業者にとっては、これらの商品やサービスを提供するインセンティブが増すことになる。8月の猛暑の最中、停電で困っているフロリダの住民に氷が1袋10ドルで売れるとなれば、製氷会社はどんどん増産して出荷するのが得策だと気づくはずだ。この結果、必要な商品やサービスがより多く提供され、いずれフロリダの住民にそれらが行き渡ることになる。さらに参入業者が増えれば競争が激しくなり、法外な値段もいずれ下がっていく」。
3つ目の見解は、フロリダ州司法長官が示したもので、
「被災者に法外な値段で氷を売ったり屋根を修理したりするのは、もはや自発的な取引の申し出とは言えず、強要である。一部の経済学者たちの考えが成立するのは、買い手に選択肢がある、つまり買うか買わないかを決められる自由がある場合だけだ」として、便乗値上げ禁止法を執行し、悪質な業者を取り締まりました。
著者のサンデル氏は、ここでは「どれが正しいと考えているか」をはっきりとは明かしません。その代わりに極めて重要なポイントを提示します。
便乗値上げに対する3つの見解は、それぞれが「正義とは何か?」を考える上で何を重視するかを明示している。それらは「美徳」「福祉(筆者注:あるいは効用)」「自由」の3つであると言うのです。
まず、便乗値上げに対する半ば直感的な違和感や憤りは、それらが「美徳に反する」という心の動きに根差しています。
2番目に紹介した、「便乗値上げには経済的合理性がある」とする一部の経済学者たちの擁護論は、福祉(あるいは効用)を重視した正義へのアプローチです。
便乗値上げは長い目で、かつ全体として見れば参入業者を増やし、フロリダの住民たちに必要な商品やサービスを行き渡らせる。フロリダの住民たちを助け、かつ業者の経済的利益ももたらすのだから、効用の拡大という正義に適う──というわけです。
サンデル氏は本書で、後世の人たちに多大な影響を与えた功利主義の哲学者、ジェレミー・ベンサムの哲学を紹介しています。ベンサムは「正義とは効用を最大にすることだ」と主張しました。
効用とは、快楽や幸福を生むすべてのもの、苦痛や苦難を防ぐすべてのものであり、効用の最大化こそが正しい行いであると唱えたのです。
この考え方は今日の私たちの社会にも広く浸透しています。経済的繁栄や生活水準の向上によって、人々の効用を拡大していく──そのこと自体に反対する人はいないでしょう。
しかし便乗値上げのように、効用の追求が美徳に反する場合はどうすればいいのか。福祉(あるいは効用)を重視する正義論は、誰もが納得する答えを用意してくれていません。
フロリダ州司法長官が示した3つ目の見解は、「自由」を重視するアプローチです。
正義が実現されるためには人々の自由意思が尊重されなければならないという考えもまた私たちの社会、意識に深く浸み込んでいます。
しかしサンデル氏は、自由意思もまた正義と対立する場面が数多くあることを、アメリカで今もなお一定の政治的影響力を持つリバタリアニズム(自由至上主義)の考えを紹介しながら例示します。
どの人間も自由への基本的権利を持ち、他人の自由を侵さない限りは自らが所有するものを使って、自ら望むことができる──このように考えるリバタリアニズムの信奉者たちの中には、例えば「自殺の自由」どころか、合意のもとで自らを殺してもらう「自殺ほう助の自由」さえ主張する人がいます。
正義から逸脱しない「自由」とは、どこまでの範囲に定められるべきなのか、その線引きについて合意を形成するのは容易ではありません。
ではサンデル氏自身は正義についてどんなアプローチを重視しているのでしょうか。
サンデル氏は「美徳」の復権を唱え、本書の最後で、正義にかなう社会を作るためには以下の4つが必要だと主張します。
1つ目は市民道徳の育成です。
サンデル氏は『正義にかなう社会に強いコミュニティ意識が求められるとすれば全体への配慮、共通善への献身を市民のうちに育てる方法を見つけていかなければならない』として、献身や奉仕の心の大切さを指摘します。
2つ目は経済合理性あるいは市場原理と、道徳との関係の再定義です。
アメリカでは教育や医療さえも民間委託が進み、収益性の追求が至上命題になりつつあります。その結果、医者や教員のリストラなどによって教育や医療の質が低下する問題を発生させています。
このまま全てを市場原理に委ねていいのか、議論が必要ではないかと言うのです。
3つ目は、平等についての議論です。
アメリカではこの数十年で貧富の差がますます広がり、社会の分断が深刻になっています。不平等は市民社会をむしばむおそれがある、とサンデル氏は警鐘を鳴らします。
4つ目は公共生活における道徳の再評価です。
公共生活における道徳のあり方、宗教の役割について、政治家も含めて人々はもっと注意を向け、議論すべきではないかと言うのです。
最後になりますが、「正義とは何か?」を問い続けることには今、どんな意味あるのでしょうか。
サンデル氏の結論はこうです。
「正義とは何か?」──この難問に挑み続ける営為を通じて、人は自らが重視する理念、大切にしたい価値が見えてくる。
投資対象を選ぶときは、本来の自分に立ち返る
哲学や思想を学ぶ上で大切なのは、ある事象について様々な観点から検証し、議論することです。これは運用・投資の世界にも通じるのではないでしょうか。
金融商品や、投資対象とする銘柄を選ぶ時、「業績を主軸にみる」「成長性を重視する」「格付け(安全性)に注意を払う」など様々な観点があり得るからです。
さらに私がここで1つ提案したいのは、「地球環境の保全に熱心な銘柄が中心の投資信託」や「女性活用に熱心な企業」といったような、半ば直感的に共感や好意を覚えた金融商品や銘柄もまた、運用、投資対象として俎上に載せてみてはどうかということです。
いわば「美徳、道徳というアプローチからの正義にかなう運用、投資のススメ」です。
それはあなたが大切にする価値観にかなう運用、投資であると同時に、あなたが大切にしている価値観を大切にしてくれる経済社会への実現に向けて、1票を投じることにもつながるのではないでしょうか。
渋谷 和宏
しぶやかずひろ/作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。
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