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親から子へ、未来のギフト(前編)
2019.1.16天ノ川夫妻の事件簿
京はバスタブの中で、夏雄の父親が書き残した紙切れの数字を思い浮かべていた。かれこれ小1時間ほど湯に浸かっている。これが京の謎解きのスタイルなのだ。
数字は何を示しているのだろう。父親は夏雄の持ち物にマジックで720と書いたりしていたと言う。夏雄だから7(な)2(つ)0(お)。紙切れに書かれた数字も同じようにこんな風に読める。4310(読み取れ)、4049(四をよく)、36.40.(見ろ。四を。)、046760(惜しむな労を)、1092(特に)、96079(苦労なく)、3310(ささっと)、1093(解くさ)
しかし言葉に置き換えても意味は分からない。そもそも最初の4310を「読み取れ」と読んでみたけれど「シーサーと」「シーザーと」など何通りにも読める。他の数字も同様だ。
「シーザー?」水中を泳ぐ魚の影のように何かが脳裏をよぎった。
京は「シーザーの暗号」を思い出した。ジュリアス・シーザーが使ったとされる暗号で、アルファベットを一定の文字分ずらして表記する。3文字分ずらすとCAT(猫)ならFDWだ。
もしかして4310は「シーザーの暗号」で「読み取れ」と言っているのだろうか。これに続く数字を京は「4049四をよく」「36.40.見ろ。四を」と読んでみた。間違いでなければ「シーザーの暗号のように、それぞれの数字の
京は4番目の数字をつないだ。09072703
「
「ああ!」京はバスルームを飛び出し、リビングに駆け込んだ。
「京ちゃん! 素っ裸!」
「今、百パーセント、下りてきた!」
日曜日、柏木家の庭に京と明日美、美和と夏雄が集まった。ソフィーは明日美の腕の中で興味深げに瞳を動かしている。
「先日、僕は『¥5500000』とはお父様が遺したお金で、他の数字はそのありかを示した暗号ではないかと言いました。その推理は間違っていなかったと思います」
京は「09072703」と書いた紙を掲げた。
「数字に託されていた指示に従って4番目の数字をつなぐと、こうなりました。なかなか意味を読み取れなかったのですが、ふとこの庭にあるカシワの木を思い出したんです。カシワは英語でダイミョウ・オークなどと言います。09をオーク、つまりこのカシワの木を指しているのだと仮定して、残りの072703を見てみると方位を示す数字が2つ見つかりました。
京は張り出し窓の洋室を指さした。「09072703の数字は、このカシワの木から0度つまり北に7m行き、次に270度つまり西に3m行った場所を指している可能性があります」
そこは洋室のソファの真下だった。
京は「失礼します」と言ってソファをずらし、古いペルシャ
3人が京を取り囲み通帳に視線を注ぐ。京は通帳のページをめくった。昭和45(1970)年7月に100万円が入金されていた。預金はしばらくの間、利子が加わり順調に増えていたが、5年後の昭和50(1975)年8月に全額が引き下ろされ、残高は0円になっていた。
4人は同時にため息をついた。
「京ちゃん、どういうこと?」
「お父様は賞金の100万円には1円も手をつけず、全額、長期運用するつもりだったんだよ。¥5500000は目標の金額だったんじゃないかな。1970年代から80年代にかけての金利は、調べてみたら今よりもずっと高かった。例えば郵便貯金の10年定期の金利が12%の時もあったんだ。『仮に100万円を年利10%の複利で運用できたら、18年で約550万円に増える』お父様はそう考えていたんだと思う。だから通帳に手を付けないよう保管して、場所を忘れないように暗号を残したんだ」
京は夏雄を見つめた。「お父様が賞金を運用しようとした理由も、5年後には解約した理由も、お分かりなんじゃありませんか?」
「父は私の大学進学の資金を貯めるつもりだったんだと思います。亡くなった母が言っていました。私が幼いころ父はまだ貧しくて、このままでは息子を大学に行かせられないと心配していたと。だから私が18歳になるまでに資金を貯めようと運用を始めたのでしょう。賞金で研究用の書物を買いたかっただろうに」
夏雄は
「お父様はその時このお金を使ったんですね」
「私は父からの贈り物で生きられたんです。父は私が高校生の時に大学教授の職を得て、おかげで私は大学に進学できました」
夏雄は美和を見た。「美和、僕は秋人の......息子の将来をもっと考えてあげるべきだったな。あいつはアメリカの大学院への留学を希望していたのに、僕にはその夢を叶えてあげるだけのお金がなかった」
京がマンションのドアノブに鍵を差し込もうとしたその時、ドアが開き、明日美が先日よりさらに大きく瞳を見開いて夫を出迎えた。
「これ見て!」明日美は夏雄の父親名義の積立定期預金の通帳を見せた。「ソフィーが柏木さん
「通帳はもう1冊保管されていたんだ!」
京は通帳のページを開いた。一万数千円から二万数千円が、多い時には月に2回振り込まれ、残高は300万円を超えている。最初の振り込みは19年前、最後の振り込みは9年前だ。
「19年前と言うと秋人くんが生まれて間もなくだね。夏雄さんのお父様は秋人くんの将来まで考えていたのかな。そうか! お父様が見つけてほしかったのはこっちの通帳だったんだ。だとすると残高0の通帳は? もしかしたら、あの通帳を絨毯の下にまた入れたのは、お父様の気持ちを夏雄さんに知ってもらいたかった、お母様だったのかもしれない」
「ねえ京ちゃん、あたしたちも未来への贈り物を作ろうか? 年利10%は無理だけれど、投資信託なども交えて3%で運用できれば、100万円が30年後には240万円を超えるのよ」
明日美は未来を見つめる目をした。
未来へのギフトを実現する「複利」
「親から子へ、未来へのギフト(前・後編)」で、登場人物である柏木夏雄の父、春樹が、息子の未来のために活用したのは「複利」の力です。
「複利」とは「元本だけでなく利子もまた利子を生む」ことで、元本に利子を組み入れて運用することを「複利で運用する」と言います。
複利の効果は長期間運用するほど大きくなり、あの20世紀最大の物理学者アルベルト・アインシュタインが「宇宙で最も偉大な力」とまで呼んだとさえ言われるほどです。
複利がどれだけの利子を生み出すのか、元本だけを運用する「単利」と比較して見てみましょう。
100万円の元金を長期間運用するとして、その間の平均の金利(年利)が3%だったとします。複利でも単利でも1年後は103万円と一緒ですが、5年後には複利では115万9274円になり、単利の115万円を1万円近く上回ります。
さらに20年後には複利が180万6111円、単利が160万円とその差は20万円以上に、30年後には複利が242万7262円、単利が190万円とその差は50万円以上に広がります。3%の複利で運用すると元本は30年後には2.5倍近くにまで増えていくのです。
将来を見すえた長期安定運用によって、複利は未来へのギフトをもたらしてくれます。
天ノ川京(あまのがわ・きょう/主人公)
33歳、マネー誌の編集者。推理小説を愛し推理作家を目指している。趣味は謎解き。優しい性格で妻の明日美に振り回される。
天ノ川明日美(あまのがわ・あすみ)
34歳、京の妻、フリーのファイナンシャルプランナー。好奇心旺盛で周辺で起きるマネーの謎にことごとく首を突っ込む。
ソフィー
♀2歳。額にハートの模様がある三毛猫。主人公夫婦の愛猫で出歩くのが大好き。時々、奇妙なモノを拾ってきて、それがマネーの謎を解くきっかけになったりする。
柏木美和(かしわぎ・みわ)
46歳、明日美の顧客。物置から判じ物のような数字が書かれた紙切れが見つかり、気になって夜眠れなくなってしまう。
柏木夏雄(かしわぎ・なつお)
48歳、美和の夫。判じ物のような紙切れは父が書いたものではないかと言う。
執筆:渋谷 和宏(しぶやかずひろ)
作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。