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悪だくみにはまった子ども達!?〜仮想通貨の光と影〜(前編)
2019.11.20天ノ川夫妻の事件簿
仮想通貨のように価値を持つことから学校で禁止されたにも関わらず、隠れてドラゴンコインを集めていた敏、淳平、翔の3人の小学生に京と明日美は会う。悪い大人が子ども達から小遣いを巻き上げるつもりではないか。そう心配する京と明日美に、ドラゴンコインの発行者は小学校の近所に開店したゲームショップの店長だと3人は打ち明ける。果たしてその狙いは……?
日曜日の午後、
古い雑居ビルの1階にあるガラス張りの店舗で、ドアには「ゲームの可能性を子ども達に!」と書かれたポスターが張られている。
京は明日美に目配せして、ドアを開けた。
店内には小中学生を中心に十数人の客がいて、熱心にゲームソフトを物色していたり、アルバイトらしい若い女性と話をしたりしている。繁盛している店のようだ。
京はレジカウンターにいる30代の小太りの男性に目を止めた。
アルバイトたちに指示を出しているところを見ると、どうやら店長らしい。
京は明日美を伴って男に近づき、「
「あ……はい」
男は怪訝な顔で京と明日美を交互に見た。
「ドラゴンコインについて訊きたいことがあるんです」
「え? どんなことですか?」
「ドラゴンコインを発行した目的です。子ども達を夢中にさせているのはいったいなにが狙いですか?
ドラゴンコインが欲しいあまり、学校で禁止されたのにもかかわらず隠れてドラゴンコインを集めていた子ども達さえいるんですよ」
「その1人はあたしの大事なクライアントの息子さんなんです!」
明日美はフィナンシャルプランナーの名刺を小口に突きつけた。
「あ……あちらにどうぞ」
小口は驚いた顔をして名刺を受け取り、店の奥にある雑談スペースに2人をうながした。
「それほどのことになってしまったとは……親御さんが心配するのももっともです」
「リトルドラゴン」の店長、
「ドラゴンコインを発行したのは、子ども達に、より多くのゲームに触れてもらえるきっかけを増やしたかったからなんです」
小口は顔を上げ、話し始めた。
「この店を開いたのも、それが目的でした。ヒットしていなくても、大手ゲームソフト会社のゲームではなくても、素晴しいゲームは沢山あります。面白いだけではなく、基礎学力を身に付けるのにプラスになるゲームも少なくありません」
「そんなゲームを子ども達に知ってもらいたくて、僕は大手のゲームショップ運営会社を退職して『リトルドラゴン』を開業したんです。ドラゴンコインは子ども達がゲームに手を伸ばしやすくするためのクーポン券のつもりで発行しました」
「クーポン券のつもりなら、なぜドラゴンコインの人気が上がると、価値も上がるようにしたの? そんな必要はないでしょう?」
「それは全くの想定外でした。ドラゴンコインを子ども達が持っているゲームと交換できるようにすれば、皆がいろんなゲームを体験できるようになると思ったんです。
それが結果的にドラゴンコインの価値を吊り上げるとは予想もしていませんでした」
「今、完全に下りてきました」
京はうなずき、明日美を見た。
「敏くんたちは、ドラゴンコインに夢中になってしまった理由や発行者のことを、親や先生に問いただされても話さなかったよね。それはなぜなのだろうと僕はずっと疑問に思っていたんだ。もしかしたらドラゴンコインの発行者に口止めされているのではないかとも考えたよ。
でも、そうじゃなかったんだね。敏くんたちは、小口さんが敏くんたちに良かれと思ってドラゴンコインを発行していたのを知っていて、庇おうとしていたのかもしれないね」
「あの……天ノ川さん……」
小口は困惑を顔に浮かべた。
「僕はどうしたらいいでしょうか?」
翌週の日曜日の朝、「リトルドラゴン」に京と明日美、玲子、敏、淳平、翔、さらに他の敏のクラスメートやその父兄たちが集まった。子ども達にお金についてのリテラシーを教えるイベント『やさしいお金の授業』が開かれるのだ。
主催は、
授業が始まった。テーマは「仮想通貨」だ。
大介は玩具の紙幣を使い、仮想通貨とは何なのか、投資対象としての仮想通貨に潜むチャンスやリスクを説明する。
「仮想通貨はビットコインだけでなく、発行枚数が少ない物を含めると何と数千種類もあると言われています。発行量の上限を定めているものは、人気が集まると価値は上がりやすいですが、一方で少し売られただけで価格は大きく下がってしまいかねません」
「仮想通貨については、本来の決済手段としての利用を増やすのなら、価値が上がったり下がったりしないような仕組みにすべきだとの意見が少なくありません。僕もどちらかと言うと、それに賛成です」
大介の授業が終わり、店長の小口が挨拶に立った。
小口は、ドラゴンコインの人気が上がると、価値も上がる仕組みが子ども達を夢中にさせてしまったことを詫び、こう続けた。
「今後はドラゴンコインの価値が上がったり下がったりしないようにしたいと思います」
子ども達から「ええ!?」という声が上がる。
小口はにっこり笑った。
「そう来るかなと思っていました。そこで出血大サービスです。今、皆が持っているドラゴンコインの価値を一律3割上げ、3割アップで価値を固定します!」
子ども達から歓声が上がった。
明日美が小口と子ども達のやりとりを見つめながら京の耳元で囁いた。
「人騒がせなドラゴンコイン騒動もこれで収束ね」
「そうだね。でも僕はただの人騒がせの騒動ではなかったと思う。ドラゴンコインを通して仮想通貨の実態に触れたのは、子ども達の将来にとって決してマイナスじゃないよ。この子達が大人になるころには、仮想通貨はもっと普及しているかもしれないからね」
京は遠くを見つめる目をした。
ビットコインやNEM(ネム)などの仮想通貨の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。仮想通貨とはインターネットの中だけで流通している仮想の通貨、より正確に言うとコンピューターのプログラム(暗号化されたデータ)です。
ある特定のプログラムをインターネット上で「お金として扱おう」と決めただけで、紙幣や硬貨のような形あるモノではありません。
コンピューターのプログラムなので、インターネットにつながっていれば国や地域を選ばず世界中で使えますし、海外への送金にも時間がかかりません。
このように決済手段として優れた点はいくつもありますが、現状では将来の値上がりを期待した投資目的で手に入れる人がほとんどです。それもあって最近では仮想通貨を暗号資産とも呼ばれています。
一方で本来の決済手段としての利用を増やすために、価値が上がったり下がったりしないような仕組みにすべきだとの意見が少なくありません。
また実際、価値を固定した仮想通貨も複数、登場しています。
仮想通貨が決済手段として広く使われるようなる時代が近い将来、やってくるかもしれません。
天ノ川京(あまのがわ・きょう/主人公)
33歳、マネー誌の編集者。推理小説を愛し推理作家を目指している。趣味は謎解き。優しい性格で妻の明日美に振り回される。
天ノ川明日美(あまのがわ・あすみ)
34歳、京の妻、フリーのファイナンシャルプランナー。好奇心旺盛で周辺で起きるマネーの謎にことごとく首を突っ込む。
見沼玲子(みぬま・れいこ)
30歳、同じ町内に住む明日美のクライアント。息子の敏が、クラスメートの間で流行り始めたネット上のコイン、ドラゴンコインに夢中になっているのを心配して明日美に相談を持ちかける。
見沼敏(みぬま・さとし)
12歳、希望第一小学校6年生
牧内淳平(まきうち・じゅんぺい)
12歳、敏のクラスメート
大木翔(おおき・しょう)
12歳、敏のクラスメート
小口龍太(こぐち・りゅうた)
32歳、ゲームショップ「リトルドラゴン」の店長、子ども達に良かれと思い、ドラゴンコインを発行したのだが……。
一ツ木大介(ひとつぎ・だいすけ)
23歳、子ども達にお金のリテラシーを教えるNPO(非営利団体)「ミライマネー」を大学の仲間とともに立ち上げる。
執筆:渋谷 和宏 (しぶやかずひろ)
作家・経済ジャーナリスト。大学卒業後、日経BP社入社。「日経ビジネスアソシエ」を創刊、編集長に。ビジネス局長等務めた後、2014年独立。大正大学表現学部客員教授。1997年に長編ミステリー「錆色(さびいろ)の警鐘」(中央公論新社)で作家デビュー。「シューイチ」(日本テレビ)レギュラーコメンテーターとしてもおなじみ。