藤島大の楕円球にみる夢
(2022/07/04)
ゲスト/日野剛志選手(静岡ブルーレヴズ)
三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内ラグビー、日本代表、世界のラグビーなどの幅広い情報を詳しく伝えています。7月4日放送回は、静岡ブルーレヴズの日野剛志選手が出演されました。
藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストはリーグワン、静岡ブルーレヴズのフッカー、日野剛志さんです。よろしくお願いします。
日野よろしくお願いします。
藤島経歴を紹介します。1990年1月20日、福岡市に生まれました。4歳でラグビーを始めて、福岡県立筑紫高では花園の全国大会には届かないけれども、強豪ですからラグビーに浸って、同志社大に入ります。トライアウトをきっかけに2012年、当時のヤマハ発動機、今の静岡ブルーレヴズ入り。2016年11月のウェールズ戦で日本代表デビューを果たし、通算5キャップ。2016年度にはトップリーグのベストフィフティーンに選ばれています。2017年にはサンウルブズ、2019年にはフランスの世界の名門クラブの1つ、スタッド・トゥールーズでもプレーしました。2022年、日本ラグビー選手会会長に就任しています。172センチ、100キロ。数字を見るとそれほど大きくないんだけれども存在感の大きい、見事なフッカーです。
トゥールーズ、フランスの人はなんて呼ぶんですか。
日野スタッド・トゥールーザンですね。
藤島フランスのスポーツ界でも屈指の、あるデータで一番と読んだことがあるんですけれども、観客動員の力がある、本当に大きな力のあるクラブですね。
日野そうですね。本当に熱狂的です。
藤島そこに日本のフロントローが行って3試合公式戦に出場した。同じ頃行われていたワールドカップの日本のベスト8進出に匹敵するような、個人的には快挙だと思っています。きっかけはヤマハとトゥールーズでクラブのつきあいがあったことからだそうですね。
日野トゥールーズからも20歳前後の若者が来て、ヤマハも送り出しましょう、と。うちはさすがに若手を送るわけにはいかないので、2018年まで代表候補に入っていたんですけど外れていた僕が「どうだ」と。
藤島もともと希望していたんですね。
日野2019年のとき、5年以内に仏国のトップ14(フォーティーン)でプレーしたいという、無謀かもしれないけれどビジョンがあったんですね。チャンスが巡ってきたので、ふたつ返事で行きます、と。
藤島受け入れ側は練習に参加して勉強して親交して、という感じだったと思うんですけど、そこから公式戦に出場するに至った経緯はどういうことだったのですか。
日野そういう意味ではストーリーが、奇跡のような物語があるんですけど。簡単にお話させてもらうと、ワールドカップ前だったのでトゥールーズからもたくさんの選手が選ばれて、その中でフッカーも2人選ばれていたんですよ。若い選手はいたんですけど、フランスはワールドカップ期間中も試合をするので助っ人選手を呼んでいいんですね。フランスでは「ジョーカー」と言うんですけど、「ワールドカップジョーカー」として南アフリカの選手が来る予定でした。そうしたら「ビザの関係で入国が遅れます」と。
藤島風が吹きましたね。
日野僕は開幕2週間前に着いたんですけど、さらにプレシーズンマッチの試合で先発の若いフッカーが頬骨にひびが入る怪我をしたのですね。前年度優勝チームにいるフッカーは18歳のアカデミーの選手と見ず知らずの日本人。練習に1、2回参加したときにヘッドコーチから「素晴らしい」みたいなことを言われて、ロッカールームに戻ったらチームのマネージャーがこんな分厚い1センチくらいあるんじゃないかというフランス語の契約書を持ってきて「サインしろ」と。「日本語いるか」と聞かれて、「いる」と言ったら、ヤマハとトゥールーズを結んでくれた日本在住の通訳の方がヤマハとか協会のところは私が調整するから心おきなくサインしていいよ、と。当時は五郎丸さんしかトップ14でプレーしていなかったのでこれはチャンスだと思って迷わず、条件面とか見ないでサインしました。
藤島10年拘束という条件だったらどうしたんですか。
日野それはそれで幸せだったかもしれないです(笑)。
藤島当時のFWコーチのコメントがあって、1週間のトライアルで日野を見ていたけれど「これは掘り出し物だ」、日本語に乱暴に訳すと「めっけもんだぞ」と。
日野ラッキーなもう一つの要因として当時ヤマハでプレーしていたリッチー・アーノルドというオーストラリアのロックの選手がいて、かなりサポートしてもらいました。フッカーで一番困るのはセットプレーじゃないですか。事前にラインアウトのサインを教えてもらって最初の練習に臨んだんです。ラインアウトをやってみろというときに「あ、このサインだ」と分かって。すごく適応能力がある奴が来たと思われたんじゃないかなと。
藤島開幕は敵地でしたね。
日野ボルドーです。
藤島とにかくフランスのリーグは人気があるんですね。僕が読んだ本では広場の教会の鐘があって鐘を守るために闘うんだ、と。地域の文化とか人々を守るんだという意識があるからものすごい熱狂するし、敵地にいくと大変なんですよね。
日野大変ですね。90パーセント以上は敵地のファン、その色で染まるので。自分たちのクラブが勝つのが一番なので、平気でブーイングしてきますしアウェーは本当に大変です。
藤島試合ではどうでした?
日野正直、スキルでは日本人が通用する部分は大きかったけれど、フィジカルだったり球際って言うんですかね、ラックから出た瞬間わーっと襲いかかってくる感じや、がつがつとしたコンタクトプレーのしつこさは勉強になりましたね。
藤島ヤマハで培ったスクラムはどうでしたか。
日野言葉の壁がそこはありましたね。それと身体的な差も大きかったです。「お前みたいな小さな奴と組んだことがない」と言われ、そこのアジャストというか高さが合わなかったりして。「郷に入ったら郷に従え」、スクラムコーチの考えるスクラムもあるので、その中で自分の色をどう出していくか苦労した部分はありました。自分の力が出せるぎりぎりの組み方の高さのところに味方に合わせてもらって。
藤島試合で組んだり練習を重ねているとちょっとは耳を傾けてくれるようになるんですか。
日野なります。あとは信頼というか自分がどういう選手でどういう人間かが分かってもらえると。正直、最初はパスも来なかったのが最後の方はパスが来るようになって、自分で示せば認めてもらえるなという感覚がありました。
藤島トゥールーズでは一番有名な日本人。
日野まんざら嘘ではないと思います。日本人の在住は200人くらい、その中だとダントツですし。
藤島すごいいい待遇受けるでしょう、レギュラーは。
日野お金の面で言うとサッカー選手のほうがもらっていると思うんですね。ただステータスが。選手、クラブが街の誇りなんです。パン屋にフランスパン買いに行ったらフランス語しかしゃべれないおばちゃんが顔を見て、「タケシ、タケシ」と壁のトゥールーズのポスターを指さして、「グッドグッド」とサムズアップしてきて。ホームゲームに出られる喜びをより感じましたね。ホームゲームに選ばれた選手としての喜びというのは何ものにもかえがたい経験だったなと思います。
藤島静岡もぜひ。
日野静岡もそのポテンシャルはあると思うし、そうなってほしいですね。
藤島敵地が1試合、ホームが2試合ですか。日本に帰るときは寂しかったんじゃないですか。
日野寂しかったです。特に言葉に慣れてきた生活に慣れてきた、もっといいプレーができるというところで代表選手が帰ってきたりしてプレーするチャンスをもらえなかった。そういう悔しさと、街の人たちに認めてもらえてスタッフに「いつでも帰って来い」と言ってもらえた。たった3カ月の契約期間だったんですけど、確実にトゥールーズというクラブに日本人がいたというのは残せたというのは自負しています。
藤島日野さんは実は中学が東福岡高校の付属、自彊館(じきょうかん)中学だったんですね。そのまま東福岡高校に進むのではなく県立高校に進んでいますね。
日野自彊館中学は高校のグラウンドの横で練習していたんですけど、あまりにも高校のレベルがすごすぎて。僕はここでレギュラーになれないなと当時の日野剛志が子供ながらに感じて、中学校2年生が終わって3年生に移るタイミングで兄が通っていた筑紫高校に通いたいと公立の中学校に転向して受験しました。それまではバックスしかやったことがなかったんですけど、そのタイミングで奇しくもフッカーに移りました。
藤島東福岡に挑んでいくその3年間はどうでしたか。
日野その3年よりきついことはないのでこれからの人生何が起きても大丈夫(笑)。
藤島トゥールーズ、フランスに放り込まれても。
日野一人で放り込まれても高校の3年間に比べれば。何よりもきつかったですけど鍛えてもらった3年間があったからこそいろいろなものに感謝しながらラグビーできているなというのは感じています。人間性のベースとなるものを作っていただいたので。今もしゃべりながら鳥肌が。昨日のことのように思い出します。一緒に闘った仲間は今でもみんなでファミリーと言っていて家族同然の仲間たちです。
藤島同志社大学に進みますけど、ラグビーで声がかかる感じではなかったんですね。
日野体が小さかったので。いわゆる高校日本代表とか、ましてや福岡県選抜にも入っていなかったので。
藤島4年でやっとレギュラーに定着しましたが、4年でとなるとなかなか強いクラブから声がかかりにくい。
日野社会人からはかからないですし、やはり172センチの小さなフッカーに声をかけてくださるクラブはなかったですね。
藤島一般企業を受けていたそうですね。
日野福岡の企業と並行して、ラグビーで行きたいという気持ちがあったので先輩の中村直人さんに相談して、「一緒に探そう」と。
藤島いい人ですね。ヤマハのトライアウトを受けて入った。ヤマハと言えばスクラム、ジャパンの快挙につながる長谷川慎コーチがいて。何が一番変わったんですか?
日野細かいシステムを作ったというのも皆さんご存じだと思うんですけど、言われたことでこのチームに来てよかったなと思ったのは、「このチームではスクラムが強い奴が試合に出るんだ」と。(監督だった)清宮克幸さんも長谷川慎さんもそれをおっしゃったんですね。そのポリシーがあったので、逃げられないんですね。僕はもともとスクラムが強い選手ではないので一緒に体を鍛えさせてもらった。そこにシステムが乗ってくるわけです。自分の特徴のランニングやディフェンスも乗っかってくる。
藤島日野さんは怪我でひとシーズン出られず、戻ってきてからのスクラムは強かったですね。
日野ありがとうございます。
藤島リーグワンを見ていると、静岡は両ロックが日本人であることが多いですよね。
相手のロックと身長の差がある。ラインアウトを投げるのも大変ですよね。
日野大変です。僕も大変ですしラインアウトコーラー、ラインアウトコーチも苦労しながら工夫して。
藤島ピンポイントで行かないと手の長さが10センチ違ったら厳しいですよね。
日野厳しいですね。あとはタイミングや場所をずらしたり。
藤島この力をジャパンのセレクターに見てほしいですね。あれを投げられるのが何人いるのか。
日野そう言ってもらえるとうれしいです。
藤島日本対ウルグアイの第一戦に出ましたが、当初そこに入ってなかったですね。
日野リーグワンのプレーオフに出ていない選手を集めた合宿に、フッカーがいないので呼んでもらえて。そこにジェイミー・ジョセフコーチもいて、失うものもないし若い選手たちに自分の経験やジャパンのスクラムを教えようと張り切って1週間頑張ったら、ジェイミー・ジョセフさんにびっくりされ、「もしチャンスがあれば呼びたいと思っているから引き続きトレーニングしていてくれ」と言葉をもらった2日後くらいに電話が来ましたね。
藤島トゥールーズと一緒ですね。ぐっと力を出したら誰かが見てくれて機会が巡ってきて。
日野おっしゃるとおり、自分のラグビー人生って平坦な道じゃないですけどここぞというときに誰かが評価してくれてチャンスが巡ってきて。
藤島東福岡の練習を見て公立に転向した男がジャパンに。
日野そういう人がいてもいいと思います。自分の代は東福岡が日本一でした。でも全員引退しているけれど、こうやって第一線で頑張っている。
藤島人生について考えさせられますね。今日はどうもありがとうございました。
日野ありがとうございました。
7月4日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
7月4日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-220704.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0090286