藤島大の楕円球にみる夢
(2022/08/01)
ゲスト/李承信選手(コベルコ神戸スティーラーズ)
三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。8月1日放送回は、コベルコ神戸スティーラーズ所属、日本代表の李承信選手が出演しました。
藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは、フランスとのテストマッチ2試合に先発出場したリーグワン、コベルコ神戸スティーラーズ所属、日本代表の李承信(りすんしん)さんです。よろしくお願いします。
李よろしくお願いします。
藤島まずは略歴を紹介します。2001年1月13日、神戸市生まれの21歳。この歳でウルグアイ戦でデビューしてフランスとテストマッチをした在日コリアンの3世。父親と2人のお兄さんに影響されて、4歳から兵庫県ラグビースクールでラグビーを始めます。小学1年から中学3年まで部活動でサッカーの経験があります。神戸朝鮮初中級学校から大阪朝鮮高級学校に進みます。いわゆる大阪朝高、ラグビーの強い学校です。3年時には花園に出場しています。高校2年から高校ジャパン、2年からというのは実力者の証明ですね。
帝京大学に進みますけれども、ジュニア・ジャパンのキャプテンとしてワールドラグビー パシフィック・チャレンジに出場したことなど世界を知ったということで、ニュージーランドに留学することを決意して大学を辞めます。ところがコロナ禍、パンデミックでその機会がなくなりましたけれども、2020年、神戸製鋼に加入しました。神戸2年目となるリーグワン初年度の今シーズンは、バイスキャプテン(副将)、これ驚きですよね、二十歳で指名されて、CTB(センター)やSO(スタンドオフ)として、11試合の先発を含む13試合に出場しました。6月25日のウルグアイ戦で初キャップ、キャップ数は現在3。176cm、85kgです。
フランスは全般としてどこが強いと思いましたか。
李敵陣に入ったときの得点力は世界でもトップレベルで、22mに入ったら絶対にスコアして帰る。自分たちの試合でもスコアを重ねられたので、得点力というか決め切る力を感じました。
藤島2戦目は勝てそうな雰囲気があるし突き放されない、ああいうとき10番(スタンドオフ)は、昔の言葉で言うとプレイメイカーは何が一番大事なんですか?
李まずはミスしないこと、ディシプリンを守って流れを渡さないことが大事で、敵陣で戦おうと9番、10番で話していました。
藤島9番のSH(スクラムハーフ)、齋藤直人はどうでした?
李常にコミュニケーションをとってくれる選手で、試合前日の夜も一緒にパソコンを見ながら「こういうときはこういうプレーしよう」と話して、自分一人で判断するんじゃなくて2人で判断していこうと。助かりましたね。
藤島ジェイミー・ジョセフヘッドコーチにはフランス戦へ向けてなんて言われました?
李「自信を持ってチャレンジしてほしい」、あとは「10番の役割を果たしてほしい」と。コントロール、コミュニケーションは口を酸っぱく言われました。終わったあとは「よくプレッシャーに耐えた」と称えてくれましたね。
藤島1戦目はボールを保持してジャパンに疲れが出た。2戦目はキックをうまく使いました。
李アタックとキックのバランスはチーム全体に落とし込んでいました。
藤島バランスをとれと言われても難しいじゃないですか。
李ゾーンごとに色分けしているんですけど、僕と直人さんはハーフウェイラインまでは自陣と考えて、そこではツーフェイズ、スリーフェイズ以上は重ねないと決めていて、なかなかゲインできないときはハーフから蹴ったり10番が真ん中に蹴ったりコーナーに蹴ったり、そういうバランスはとっていました。
藤島1戦目の25分、40mくらいでしょうか、長いPG(ペナルティゴール)を決めました。その前に2度、レイト気味のタックルを受けていて、脚にダメージあったりして蹴らないだろうと思いましたが、痛みは?
李けっこう疲労は来ていましたが、キャプテンの坂手淳史さんと話して強気でいきました。
藤島「どうだ」と聞いてくるんですか?
李「いけそう?」「いけます」と。
藤島合宿ではジャパンの練習は何が違うと感じましたか。
李プレッシャーというか緊迫感です。日本のチームではないくらい。コーチ陣のプレッシャーもあるし選手の競争もあるし、コンタクトレベルなど強度も違いました。怖いというのはないですけど、命懸けというか一瞬一瞬のプレーが選考に影響する。闘いですね。
練習そのものはベーシックですね。タックル、キャッチパス、練習ドリルとしては神戸とあまり変わらないです。
藤島キャッチパス、自分のチームならつい落とすことも。ジャパンでは?
李責められることはないけれど落とした本人は「うわー」っと。自分も宮崎合宿で2回くらいインターセプトされてその日は眠れなかったです。ブルーになっちゃって。
藤島1戦目に続き1週間後も闘えて。大きいですよね。
李使ってくれて感謝しかないですね。あとはチームメイトが1戦目で信頼してくれた感じはありました。
藤島海外で育った選手もいます。「やるな」と思ったら彼らの眼も変わるでしょう。
李はい。グラウンド外でも話してくれたり。
藤島神戸で、二十歳でバイスキャプテンになったのも驚きでしょう。
李驚きでしかなかったです。シーズン前に言われて、前のシーズン、プレータイムはあまりないのにいいのかな、と。
藤島二十歳でそういう立場に放り込まれる。自分らしく堂々とやるしかない感じでしたか?
李いや、週に1回リーダーズミーティングがあるんですけど、けっこう萎縮していました。シーズンが重なってきて試合に出てからは発言できましたけど、最初はひとことも発言できなかったです。
藤島悩んだことも?
李めちゃめちゃ悩みました。けっこう逃げたくもなりました。ベテランがほかのチームと比べて多いのでミーティングで喋るだけで怖かったです。
藤島そこからジャパン、最初に声をかけられたときは?
李正直、驚きでもあり、うれしくもありました。
藤島ジャパンが解散して大阪朝鮮高級学校のグラウンドに帰ったと聞きました。みんな喜んだでしょう。
李今の高校生たちは(自分と学生時代の学年が)かぶっていないので質問攻めで。喜んでくれました。
藤島大阪朝鮮高級学校の卒業生で初めてジャパンになった。歴史的な出来事だと思うんですけど。
李光栄ですし、誇らしいですし、在日コミュニティというのは本当に日本社会の中ですごい小さい存在です。その中で日本を代表する選手になれて、うれしい気持ちととともに在日コミュニティが自分を育ててくれたので感謝の気持ちです。
藤島高校1年生のときの試合を現場で見ていました。花園ラグビー場での大阪第一地区決勝戦、相手が東海大仰星(現・東海大大阪仰星)、10−12。最後猛攻をかけてペナルティ、ペナルティだけど全部フィールドモールを作って攻めました。30分を過ぎていたと思うんですけど、右中間のさほど難しくないかなというような角度でペナルティをもらって、決めたら3点でさよなら勝ち。当時キッカーが1年生のスタンドオフ、のちの日本代表の李承信、お兄さんがキャプテン。狙わなかったですね。覚えています?
李ラグビー人生の中でいちばん悔しい試合ですね。顔があがらないというか。
藤島権晶秀監督(当時)が言っていました。「1年生にプレッシャーをかけたくなかった」と。お兄さんは「責任をもってモールで獲り切ろうとした」と。ある意味みんな1年生にやさしかった。正直言って、狙ったら入ったと思うんですけど。
李自分が右の15mというのはいちばん苦手なところで。兄に「狙えそう?」と聞かれたときにすごく遠く見えて、キックでこの人たちの人生が決まるんかとそこで萎縮してしまったというか。「ちょっと蹴れない」と言いました。それで兄がモールでいこうと。
藤島お兄さんは記者にそういうことは言わないんですね。いいですね。あれから5年ちょっと。フランス相手に45mの距離、打撲したあとに堂々決めるキッカーに。スポーツ人の時間は凝縮されていますね。
2020年度、大阪朝鮮は全校で男子生徒104人、そのうち39人がラグビー部員。それで準決勝までいって、そこでぶつかった桐蔭学園は部員が102人です。男子生徒は1977人。規模は大きく異なる。なぜ強いのでしょう。
李マインドセットがほかの学校と違うところで、在日同胞のために花園に出ないといけない使命というか、(元監督の)呉英吉先生からずっと伝えられてきていました。推薦だったりスカウトで強い選手もとれないため、誰よりもどのチームよりも練習しないと強くなれないのでそういう意味でもマインドセットであったりアイデンティティの部分がほかの学校と違います。
藤島リクルートできない、確かにそうですよね。
李3分の1くらいは高校から始めます。
藤島李さんも3年のときは見事に花園に出場し、進んだ帝京大学を辞めたのは2年生のときですか?
李そうですね。高校ジャパン、ジュニア・ジャパンを経験して、海外の選手が同じ年代でここまで成長できるのかというのを感じたことが一番大きかったです。近道じゃないですけど、もっと成長したいと思いました。
藤島お兄さんも帝京大学に在学していて、葛藤は?
李やっぱり自分が辞めるとなると、兄もそうですしいろいろな人に影響が出てきますし、大学卒業資格もとれない。葛藤はありました。でも意思は固かったです。
藤島ただニュージーランドに行くという話もコロナでままならなくなった。
李目の前真っ暗というかダメージ大きかったですね。3〜4カ月はトレーニングもしないで落ち込んでいました。再開しても常に一人でジムや公園での練習、先が見えない感じはありました。
藤島焦りはあった?
李多少ありました。大学に残っている同じ年の選手はレベルの高い練習を積んでレベルアップしているので。
藤島そこから神戸に。
李チームディレクターの福本正幸さんと縁があって。
藤島福本さんは小さい頃に通っていた兵庫県のスクールのコーチだったんですね。
李福本さんには感謝しています。
藤島お父さんもラグビーしていて、PR(プロップ)でしょうか。
李はい。長男が1番、次男が2番、お父さんが3番です。
藤島初キャップ、うれしかったでしょうね。
李喜んでいました。
藤島ここからはどうでしょう。
李2023年のワールドカップを目指して、目の前で言うと秋のツアーで結果を。運だけで来たので、ここからが勝負だと思って頑張りたいです。
藤島何を意識して練習を?
李やっぱりキャッチパスです。いちばんの基礎を常に意識しています。
藤島ニュージーランドではキャッチ&パスじゃなくキャッチパスとひと綴りの言葉です。いいキャッチするからいいパスが。常にそこを確認する?
李そうですね。
藤島今日はどうもありがとうございます。
8月1日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
8月1日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-220801.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0090286