藤島大の楕円球にみる夢
(2024/03/04)
ゲスト/屋比久 健 氏(元早稲田大学ラグビー部)
三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。
3月4日放送のゲストは、元早稲田大学ラグビー部の屋比久 健 さんです。
藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは元早稲田大学ラグビー部のプロップ、現在は沖縄の金武のモズク漁師、屋比久健さんです。よろしくお願いします。
屋比久よろしくお願いします。
藤島そこはどこですか?
屋比久今はですね、漁業組合の事務所です。
藤島経歴を私の方から話します。1978年4月28日、沖縄県の金武町に生まれます。沖縄県立球陽高校、普通ラグビーというと名護高校とかコザ高校、読谷高校を想像するんですけども、中部にある球陽高校、ここでソフトボール部でした。しかし、ラグビーをしたいという気持ちは持っていて、高校卒業後上京して、まず大学ラグビーに進むために学資を貯めなければいけない。蓄えるために、最初1年間新聞のセールスをして、2年目からは新聞奨学生として新聞を配りながら、予備校に行って勉強を始めます。ならして数えると3年浪人した形で早稲田大学に入学をして、ラグビー部にほぼ初心者として入部をします。途中マンダラクラブで少しだけプレーをしたそうですけれども、しかし2年生で公式戦デビューをしました。プロップ。172センチ、97キロ。2003年度の優勝メンバー、そのスコッドの一員でもあります。
卒業後、沖縄の海に戻ってモズクの漁師として実績を上げて、昨年まで沖縄県の漁業士会の会長さんも務めたという経歴です。なかなかほかにあまり聞いたことのない歩みを、私から聞いていきたいと思います。
中学生のときにラグビーを知っていたんですよね、少し。見る立場として。
屋比久そうです。名護市の21世紀の森ラグビー場でオール早慶、オール早明の試合がやっていて、それを見に行ったんですね、自分1人で。そのときに衝撃を受けまして、いつかはやってみたいなというようなことを。中学校2年生ぐらいだったと思います。
藤島金武と名護とは少し離れているじゃないですか。どうやって知ったんですか、その情報を?
屋比久新聞に載ってまして、見てみたいなと思って。
藤島沖縄って鉄道がないので、中学生が金武から名護に行くのは大変ですよね。どうやって行ったんですか?
屋比久バスですね。
藤島いいですね。屋比久少年がバス停に立って、路線バスに乗って名護に行って、要するに早稲田と慶應と明治を見たんですね。どこに憧れたんですか?
屋比久そのときは明治が重戦車って言われていて、スクラムトライをしたり、敵陣に深く入ると、FWで基本モールとか作ってどんどん押し込んだりっていうのを間近で見て憧れて、いつかやりたいなと。
藤島例えばコザ高校に行ってラグビーをしようっていう考えはなかったんですか?
屋比久実は近くの宜野座高校も結構ラグビーが強くて。
藤島そうでしたね。
屋比久金武だと、基本は宜野座高校に行くんですけど、明治に行くにはどうしたらいいんだって考えて、中学校の先生に進路指導でちょっと相談したら、宜野座高校からはなかなか六大学は難しいから、まずは進学校に行ってそこから受験していくのが可能性として高いんじゃないかと。
藤島計画があったんですね。計画があるのに、普通の人と違う生き方をするというのが面白いですけど。高校ではソフトボール部に入る。本当はラグビーやりたいのに、悶々とした気持ちにならない?
屋比久ラグビー部を高校で作りたかったんですけど、やる人もいませんし。体もなまるので、気の合う人がソフトボール部にいたからソフトボールでいいかという感じです。
藤島球陽高校を卒業して、まず働く。東京に出てきて、最初大きな新聞社のセールスですね。
屋比久両方です。配達もしますし、勧誘もします。
藤島ここでの屋比久少年の計画はつまり、2年間ぐらいでお金をしっかり貯める。
屋比久そうですね。
藤島2年目からいわゆる新聞奨学生になって、ここから受験勉強を始めるわけですね。
屋比久はい。
藤島心はもう明治大学ですよね、もちろん。上京して2年間過ぎた後に明治に合格した。
屋比久はい。ただ、入部したいと明治大学のラグビー部の方に電話をかけたんですが、当時スカウトでそれなりの人数をとっていまして、なおかつ経歴を聞かれたときに初心者ということで、相手にされてないといいますか、そういう初心者はちょっと、という感じで。
藤島つまり順調に進んでいたかと思われた計画が少し頓挫するというか阻まれるわけですね。早稲田に行くことになるのはどういう経緯で?
屋比久渋谷のトレーニング用のフィットネスジムに通ってたんですけど、家庭教師をされている先生の方が通っていまして、その人とよくお喋りするようになって。今こういうふうに進路で悩んでます、みたいな話をすると、その方もラグビーが好きな方で、「それなら初心者でも入れる早稲田の方がいいんじゃない」と。それから早稲田に変わりました。
藤島その結果は?
屋比久第2文学部に無事合格しました。ラグビー部に電話をして入部希望ですというと、すんなりと了承してもらいました。
藤島大学でラグビーをする前に少し経験した方がいいと思っていわゆる草の根ラグビーの名門というかマンダラクラブをベースにするんですよね。浪人生の屋比久少年がおそるおそる行って、そこにあの田倉政憲さんという、今京都産業大学の鬼のスクラムコーチとして名を馳せる元日本代表がいた。元日本代表の3番でスコットランドに勝った、スクラムの鬼ですね。この人がもう現役を引退して三菱自動車の会社員として東京に転勤になって、マンダラクラブにたまたまやってくるとそこに沖縄出身の浪人生でがっちりした体の若者がいるので特訓が始まるんですよね。
屋比久素人だったのもあって、僕は1人で相手は2人で組んで、まず押し込むことから覚えなきゃいかんということで、「鬼殺し」って言ってましたけど、それをやらされたのを覚えています。
藤島受験勉強の合間にちょっと楽しみで行こうと思ったクラブラグビーにスクラムの鬼、日本列島屈指の人がいて。田倉さんが全く縁もない東京に出てきて縁もない初心者の少年と出会ったときに、京産大で自分も鍛えられて、自分がコーチするときも教えるトレーニングを迷わず課す。田倉さんは京産大のプロップであった青春が嫌いじゃないんですよね。その青春を愛してるんだと僕は思う。だからすごい好きな話ですね。される方はたまったもんじゃないけれど。
屋比久終わるとぶっ倒れてましたから。それを見て、田倉さんはよく「幸せだな」って言ってました。もう自分の年齢になるとそういうこともなくなって、そういうのを見て、昔を思い出したのかもしれないんですけど。
藤島すごい話ですね。その甲斐あって、上京3年を経て早稲田に入って。練習は楽じゃないですよね。実は私もそのときコーチでいたんですけれども。特にあの頃は高校の大物の入学も限られていて、今より練習も基礎の反復やひたすら走ったりして、明らかに浪人生には楽じゃないし、まして初心者で。
屋比久もう地獄でしたね。とにかく走ったイメージがあります。
藤島2年目に清宮監督がやってきて、記録を見るともうこの年にレギュラーになってるんですね。全国大学選手権の大阪体育大学戦2回戦は覚えていますか?
屋比久もう忘れ去りたいぐらいですけどよく覚えてます。
藤島なぜ忘れ去りたいんですか?
屋比久そのときはリザーブで後半から出たんです。後半、たぶん20分とか25分ぐらいだったと思うんですけど、ついつい気を抜いてしまってマイボールのスクラムを取られたんですね。それ以降相手が調子づいて、危うく負けそうになったと。そのきっかけを作ったのが僕で。
藤島その1つのスクラム。ちょっとだけ気を抜いたら、がっとやられた。失敗から学ぶっていう意味ではね、例えば、漁師で海の仕事をする、何か活きていますか?
屋比久たぶん日常の姿勢、僕の考え方というか生き方がそういうときに出ちゃったと思ってるので、漁業をするときは、道具の手入れとか船をきれいにしておくとか、ちょっとしたことも確実にきちんとやる、そういうことに役立ってると思ってますね。
藤島3年になるとさらにポジションをしっかりつかんでビッグゲームにも出られて、チームも優勝する。4年のときメンバー表から名前が消えるんですけれども、何があったんですか?
屋比久お恥ずかしいんですけど、体重を増やすために当時1日6食とか7食ぐらい食べていたので、それがもとで糖尿病になりまして。
藤島それはそのときだけでほぼ治っている、問題ない?
屋比久はい。
藤島たしかシーズンが終わったとき、オール早明に出ましたよね。
屋比久世界の吉田さんの引退試合だったと思います。
藤島すごいですね。金武の少年が世界の吉田義人と、ついに交錯しましたね。実は屋比久健も引退試合だったんですよね。
屋比久そうでしたね。
藤島胴上げされて。
屋比久当時のスクラムハーフがあの辻高志さんだったんですね。辻さんと、フッカーの阿部一樹さんが僕の方におもむろに寄ってきて、「屋比久、お前今日で引退だろう。胴上げしよう」ということでみんなに胴上げしてもらったという経緯ですね。
藤島本当にいろいろなことがあって最後、中学のときに憧れた紫紺と白のジャージとスクラムを組んで選手生活を終わるって何か面白いですね。
屋比久はい。幸福なラグビー人生だったなと思います。
藤島ここからはそのプロップはなぜ故郷で漁師に、という話なんですけれども、家は漁師ではなかったんですね。
屋比久違いますね。
藤島どうして漁師になろうと?
屋比久小さい頃から人と合わせるのが苦手なタイプでしたので。それと沖縄ですので海が身近にあって、海の中で潜ったりするのが非常に多くて、まずそれが好きで。ラグビーも終わったので次は何しようかなと考えたときに、会社員は向いてないと自覚していたので自分の好きなことをやろうということで近所に漁師さんがいたので、その人の家に押しかけて、船に乗せてもらって修行させていただいたという感じです。夕日が稜線といいますか山なみに沿って落ちていく、そういうときに海辺に佇むというのは非常に好きで。そういうのもあって、漁師を選んだということですね。
藤島船で沖に出ていくわけですか?
屋比久はい。だいたい5キロとか10キロぐらい沖の方に出てそこで潜る感じです。
藤島昔、モズクのセールスに来ていた屋比久健と水道橋の駅で偶然会ったことがあるんですけど、自分はもう危ない目に何回かあってるんだって言っていた気がする。
屋比久突然予期せぬことで機械が止まったり壊れたりがありまして。僕は潜水業務ですので、5分以内に助け出されないとほぼ頭に酸素がいかない、溺死する状況なんですね。対策はとってるんですが不意に起こったときに危ない目にあったのと、夜に潜って魚を捕ったりするんですけれどサメとかが突っ込んできたりとかですね。
藤島漁師の生活も長くて、今もやっぱり海から見上げる夕日はきれいですか?
屋比久飽きないんですよね、やっぱり。漁が終わって港に帰るときも船を運転しながらぼーっと眺めて、幸せ感というかそういうのを感じますね。
藤島本日のゲスト、元早稲田大学ラグビー部のプロップ、現在は沖縄の金武でモズク漁師、屋比久健さんでした。お忙しいところありがとうございます。
屋比久ありがとうございました。
3月4日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
3月4日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-240304.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0090286