藤島大の楕円球にみる夢
(2024/11/04)

ゲスト/山田龍之介選手(日本製鉄釜石シーウェイブス)

三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。11月4日放送のゲストは、日本製鉄釜石シーウェイブスの山田龍之介選手です。

藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは日本製鉄釜石シーウェイブスのロック山田龍之介選手です。よろしくお願いします。

山田よろしくお願いします。

藤島今日は遠いところから来ていただきました。
略歴を私から紹介します。1991年10月12日生まれ。北海道釧路町の出身です。これ私ちょっと意外だったんですけど後でうかがいます。東京都立大泉高校1年のときにラグビー部に入部します。山岳部にも同時に?

山田山岳部の方が先です。

藤島兼部ですね。そこから立教大学に進んでラグビー部に入ります。 立教大学の1年生のオフにU20日本代表の候補に選ばれます。そのとき中村亮土選手、金正奎選手などがいました。卒業後、NECグリーンロケッツ東葛、当時はNECグリーンロケッツでプレーして、2019年から今の日本製鉄釜石シーウェイブスに所属しています。当時は釜石シーウェイブスRFC。ポジションはずっとロックです。188センチ、106キロ。33歳。この山田龍之介という選手はどこからやってきたのかということを聞いていきたいと思うんですけど、まず釧路に生まれ、東京へ。それは親の仕事とかですか?

山田そうですね。もともとは釧路です。今父親は釧路で昆布の問屋さんをやっています。もともと祖父の代からやっていました。

藤島中高は東京ですか?

山田はい。

藤島中学では何を?

山田バスケットボールです。

藤島そこから都立大泉高校、地域の勉強が全く苦手ではない人たちが行く学校ですけれども、もちろんラグビーをするために入ったのではない。バスケットボール部にも入らなかったんですか?

山田バスケットボール部は、とにかく練習がきつくて、外を走るだけの日があったり、部活でやるのはもういっぱいかなとちょっとネガティブな理由で何か新しいことをやりたいなと山岳部に入りました。その後もラグビー部の先輩たちが「兼部でも何でもいいから週1回でもいいから来てくれ」と毎日のように昼休みから休み時間から勧誘に来てくれて、そこまで言うんだったらってことで。

藤島早稲田が清宮キャプテンのとき、大泉高校卒の春日康利さんというロックがいました。もう片方が都立日比谷高校卒の後藤禎和さん。国立競技場での日本選手権で都立高からの2人が6万人の観客の前で(神戸製鋼の)大八木、林のロックと試合をする。いい時代ですね。
どちらかというと進学系の都立高校は3年の春で辞めることが多いじゃないですか。

山田3年生のとき同期が8人か9人いたんですけど、花園予選まで残ったのは自分も含めて3人でしたね。

藤島いざ残るとなって、受験勉強が不安な感じはあったんですか?

山田何とか両立できました。

藤島国立大学を目指す考えも?

山田当初はありましたね。でもラグビーをやっていくうちに、もうちょっと強い環境でもやりたいし、やれるんじゃないか、自分の可能性に懸けてみたいところもあって立教に変えました。

藤島立教は入ってみてどんな感じだったですか?

山田1人、大泉高校の先輩がいたのもあったんですけど、みんな仲良くて先輩たちも温かくてすっと馴染めたんですけど、やっぱり大学ラグビーの壁というか、入ってすぐは通用しなくてどうしたもんかってすごく思いましたね。

藤島それでもプレーの方でだんだん馴染んでU20に呼ばれました。

山田体が周りと比較して大きかったのでどんどん試合に出してもらえて、その中で自分の強みだったり弱みだったり、一方で花園を経験して入ってくる先輩とか同期とどこが違うんだろうと考えながら、少しずつ自分のプレースタイルを確立していったのかなと思います。

藤島花園常連校の強いところから立教に入って来て同じチームになって、メンタリティとかこういうところが違うなって思ったことあります?

山田僕は試合前けっこう緊張するんですけど、大舞台を経験しているからか、こいつらは緊張とかしないのかなっていう感じはありましたね。

藤島でも体力とかスキルは、同じにはならなくても差は詰めて行けますよね?

山田振り返ってみれば、差があるからってそこばかり見るんじゃなく、目の前のことを続ける才能はあると思っていて、自分で言うのもあれですけど、物事を継続することが一番なんじゃないか、その差はいくらでも埋められると思います。

藤島今でも山に登ったり自転車を漕いであちこち行ったり神社を巡ったり、それこそ山岳信仰の研究にいそしんだり趣味が多いという噂を聞いているんですけど、立教に入ったときはとりあえずラグビーに夢中になったんですか?

山田教員免許の取得も考えていたんですけど、そうすると4限5限の授業があって練習に出られなくなったりするのもあったので、退路を断つじゃないですけど、諦めてラグビーに没頭しました。

藤島立教からNECに。強豪ですよね。入ってみたらどうでしたか?

山田立教でももちろんカルチャーショックを受けたんですけど、NECでもまたラグビーの段階が一つ違うなと。今までこだわってなかったようなところに僕なんかよりもすごい選手たちがこだわっている、細かいところにこだわっている。まだまだ自分に足りないところだって痛感しましたね。

藤島ロックはどうしても海外から2メートル級の選手が来たりする。競争も厳しい。 いろいろ考えるところもあったと思うんですね。

山田もちろんチーム事情もあったし外国人がいっぱいいるポジションでもあったし、それは自分にはコントロールできないから、自分にできることでチームに貢献しようというマインドを持っていました。思い返してみればちょっと言い方悪いですけど、逃げというか、貢献という言葉に逃げて勝負しきれてなかったのかなってちょっと思っています。

藤島現在所属しているシーウェイブスの話に移ります。NECグリーンロケッツに5シーズン在籍して、自ら選んで移ったわけですね。どこに行きたいか、どこに移るかっていうときに釜石を選んだ。それはなぜですか?

山田大学のときに3. 11の東日本大震災の復興ボランティアで一度釜石を訪れたことがありました。NECでプレーができなくなって、でもまだラグビーをやりたいって考えたときに、何のためにラグビーするのか自分と向き合ったんですね。チームに貢献するという気持ちでやっていたけれどそれはNECじゃなくてもできる。大義としてどうなんだ、自分がプレーをする大義って何だろうって考えて、大学生で訪れたときは何もできなかったけれども、今ならラグビーをプレーすることで復興に携わることができる。大義として自分の中でしっくりきて、釜石でプレーしたいなって思うようになりました。

藤島2019年に入団をして、最初、釜石市役所に籍を置いていましたよね。

山田当時NECのコーチされていた熊谷皇紀さんがシーウェイブスGMの桜庭吉彦さんとつながっていて、桜庭さんと会って話しました。「すぐに用意できる形としてはいったん釜石市役所で働きながらラグビーをするということでどうですか」とオファーをもらって、行きます、と。任期付職員という立場ですけど1年ごとに更新できるようになっていて、待遇は正職員の方と変わらない形でした。

藤島朝、役所に行って午後5時までですか。

山田そうですね。

藤島NECという大きな会社の社員から地方の町の役所に行って、次の年にプロに。

山田家族も子どももいたので今思えば危ない橋を渡ったのかなっていうのはあるんですけど、すごくいい経験はしましたね。役所にいる1年間は、もう取り壊されてしまったんですけれど震災のときの仮設住宅に住まわせてもらって、各自治体からの応援職員の方もいて、本当に貴重な経験をしたと思っています。

藤島ラグビーですけれど、すごく分かりやすく言うと、1部から2部のチームに行って、違いがあるじゃないですか。 気づくじゃないですか。そこはどうするんですか?

山田最初はまずプレーで示さないと何も話を聞いてもらえないと思うし、自分のプレーに集中して、その上で若い子もたくさんいたので、スタンダードはどういうところにあるのか話すようにしました。

藤島プロになった後も社員の朝練に出ていたそうですね。

山田社員とプロの、溝とは言わないですけれど隔たりみたいなのを少し感じたりもしたので、そこはプロになって時間がある側が歩み寄っていけばいいんじゃないかなって思いました。

藤島こういう話をすると不平分子が、みたいに捉えられるかもしれないけれど違うんですよね。どのクラブでも、みんなそうなので当たり前のことですよね。
釜石の暮らしはどうですか?

山田本当に僕は大好きで、釜石に来るということが、ラグビー選手にとって厳しい選択というようなイメージがどうもあるような気がするんですね。でも僕は家族で住んでいるんですけれど、この暮らしがすごい気に入っていて、お勧めしたいし、釜石の魅力に気づいて欲しいなと思って色々なことをSNSとかでも発信するようにしています。

藤島今季、シーウェイブスはどうですか?

山田去年ぐらいから継続して接点、コンタクトの部分にこだわっていて、その中で外国人選手中心に接点の激しさを見せてくれているので、そこを中心に見ていただけたら楽しめるんじゃないかなと思います。

藤島10月の初めの方、静岡ブルーレヴズとのプレシーズンマッチ24対64でした。

山田シーウェイブスはプレシーズン1試合目でレヴズは3試合目という違いもあったんですけど、接点の差を一番大きく感じました。

藤島どういうことですか。

山田タックルやボールキャリーそのものは戦えていたけれどもその後の動き出しだったり、次に何をするかというところにレベルの差はあったのかなと。

藤島体力じゃなくて、意識の問題とか習慣とか。

山田そうですね。

藤島そういうことって練習で変わるんですか。

山田変わると思いますし、普段どう生きているかだと感じます。生き様みたいなところはラグビーに出ると思いますね。

藤島言葉にしてもらうとどういう感じですか。

山田ロックなのでラインアウトでよく思うんですけど、「ラインアウトは生き様が出る」というのは僕のラインアウトの師匠の熊谷皇紀さんの言葉です。それって正しいよなと思っていて、10本に1本しか飛んでこないかもしれないけれどオーバーボールのカバーに走るのをおろそかにする人間は日頃の行いもおろそかにしている部分があったりすると思うので、そういうところから自分は気をつけたいと思っています。

藤島新しいシーズはもうすぐですけれども、何年経ってもね、僕なんかのイメージでは釜石でラグビーをしたら幸せだろうなって素直に思うんですよね。

山田そうですね。先日、プレシーズンマッチを鵜住居でやったとき日野レッドドルフィンズに勝って、 もう公式戦のような盛り上がりで、やっぱり釜石ってラグビーの街だなって思いました。そこで職業ラグビー選手として生きていけることはこの上ない幸せだなと思いますね。

藤島そう言い切れる選手って世界中でそんなにたくさんいないですよね。

山田いや本当、釜石だけなんじゃないかなと僕は思いますね。釜石の価値だと思います。

藤島最後、釜石ファンって全国にいますから何か一言話してください。

山田今年新キャプテンにスクラムハーフ村上陽平選手を迎えて、これからどんどん寒くなっていくんですけれどその中で厳しい練習を積み重ねて行きたいと思うので、その成果をぜひスタジアムに見に来ていただければと思います。

藤島新キャプテン村上選手は気仙沼の生まれですよね。今日のゲスト、日本製鉄釜石シーウェイブスの山田龍之介選手でした。 ありがとうございます。

山田ありがとうございました。

11月4日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
text by 松原孝臣

ラジオ番組について:
ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。

11月4日放送分ポッドキャスト http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-241104.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信 https://www.video.unext.jp/title/SID0100786