藤島大の楕円球にみる夢
(2026/04/06)
ゲスト/忽那健太氏(バーレーン・ラグビークラブ)
三井住友銀行(SMBC)ほかがラジオNIKKEI第1で提供するラジオ番組「藤島大の楕円球にみる夢」は、スポーツライターの藤島大さんが素敵なゲストを迎えて、国内外のラグビーや日本代表などの幅広い情報を詳しく伝えています。4月6日放送のゲストは、バーレーン・ラグビークラブでプレーをされていた忽那健太さんです。
藤島スポーツライターの藤島大です。ゲストは、中東バーレーンでラグビー選手として活動していた忽那健太さんです。よろしくお願いします。
忽那よろしくお願いします。
藤島私の方からプロフィールを読み上げます。1994年、愛媛県の松山の出身です。5歳のとき陸上選手だった父親の行きつけの理髪店店主さんがラグビー好きでその人に勧められて松山ラグビースクールに兄弟で入ります。3人ですか?
忽那兄と弟、みんな一緒に。
藤島楽しかったですか?
忽那最初から面白かったですね。もうボールを持って走る爽快感が。
藤島その後、松山市立城西中学に入ります。そこにラグビー部があった。
忽那県内にラグビー部があった学校は5校しかないんですけど、たまたま校区内の学校にありました。
藤島そこから島根の石見智翠館強豪へ。キャプテンになるんですよね。全国選抜準優勝、花園ベスト8と活躍して筑波大学に進みます。ジャパンの経験者でもある山沢拓也が同期なんですよね。
卒業して、2017年から2021年までホンダ、三重ホンダヒートの前身ですね、そこに入団し活動します。その後ニュースにもなりましたけれども、2021年に膀胱がんの診断があって。手術をしたんですか?
忽那悪性の腫瘍と分かったので転移があるかどうかも分からない状態で、とにかく腫瘍を取り除く手術をしました。
藤島少しブランクがあっていわゆる所属チームなしのような段階があって、そこから海外へ渡ると。スコットランドのヘリオッツ・ラグビークラブ、エジンバラの名門のクラブですね、そこに飛び込んで2シーズンプレーをして、その後韓国リーグのオーケーマンというクラブでプレーします。そして、今日の主な話題になると思うんですけれども中東に渡ります。バーレーンですね。仙台市とだいたい同じ大きさ、人口が160万人ほど。
忽那はい。鳥取と島根を合わせてちょっと足したくらいです。
藤島そこでプロのリーグの一員となるということですね。
忽那バーレーン・ラグビークラブです。
藤島そこで2025年の8月から活動していたら、皆さんご存知の事態が起こって、本日帰国されました。ポジションは、バーレーンでは主にスクラムハーフとスタンドオフ。身長172センチ、体重82キロです。
2026年2月28日、現地午前11時だったということですけれども、バーレーンにイランのドローンの攻撃が来るわけですよね。自分の部屋から見た?
忽那最初は大きな爆撃音というか、もちろん生で聞いたことなかったんですけど、ドーンと地響きのような音が鳴って、もう直感で何か爆発したな、と。ベランダから遠くに首都が見えるんですけど、黒煙が上がっていまして、ただ事じゃないなとテレビをつけたら、イランから攻撃を受けた、と。僕はチームメイト2人と住んでいたんですけど、前日は中東ラグビーリーグの試合がホームで行われて、本当にいつもと変わらない日常だったんです。その日は1時間に一度は携帯で緊急警報アラームが鳴るんですね。その直後にバンバンバンと鳴って、こうも突然戦争って始まるんだなって信じられない思いでした。
藤島そういうとき、どんな心境なんですか?
忽那僕が住んでいたマンションから5キロ先の高層マンションにドローンが実際に突っ込んでいたんですね。9.
11の同時多発テロのような光景が見えるわけです。夜になったら色々なところにドローンが落ちて、戦争状態に入ったとき、ただただ無事を祈ることしかできないんだなって思いました。次の日、連絡が100通、200通くらい日本から来て、「気をつけてね」と。うれしいんですけど、気をつけようがないなって。命って本当に偶然繋がっているものでもあるのかなって思いました。
藤島さっきチームメイト2人と住んでいると言っていました。どこの人ですか?
忽那スコットランド人とオーストラリア人です。ラグビーどうこう、スポーツどうこうとか考えられなかったですね。スポーツって平和の上に成り立っているんだなってあらためて痛感しました。
藤島スポーツと平和ってなかなか遠大なテーマだけれども、戦争はスポーツを邪魔するという一点で許せないですね。
3人のラグビー選手がどんな話をしたんですか?
忽那空襲が始まって3日、4日くらいのときなんですけど、夜中になるたびにリビングに集まって、何で俺たちラグビーやってるんだろうね、みたいな話になって。ラグビーの良さって何だと思う?という話になったとき、ルームメイトの1人が「僕はレジリエンスだ」と言ったんです。日本語で言うと復元力、回復力。ラグビーは痛いし、きついし、ぶつかるし、ときに跳ね飛ばされて、打ちのめされるけど、そこで立ち上がってまた向かっていく。それを学べるのがラグビーの良さだと思うんだよねと言ったんです。社会に出ても逆境、挫折ばかりだと思うんですけど、ラグビーはタフさというか立ち上がることの大切さを教えてくれる。 僕もがんになったり、辛いときもあったんですけど、ラグビーをやっているからこそ、もう1回立ち上がって向かっていくんだと肌身に染みて学んできただけに、あらためて実感した感じですね。
藤島みんな無事に出国したんですか?
忽那オーストラリア人の選手は今週の土曜日に帰る予定で、スコットランド人のルームメイトは現地の学校で働いていて、オンラインでまだ授業があるのでもうちょっと先に帰るって言っていましたね。もう南アフリカに帰った選手もいますし、イギリスに帰った選手もいますし、みんな離れていってますね。
藤島帰国するときはどういうルートで?
忽那バーレーンに唯一ある国際空港が攻撃で閉鎖中だったんですけど、僕のチームのドクターがUAEのアブダビにアパートを持っていまして「そこに行く用事があるから、一緒に行くならアブダビ空港から飛べるよ」って話してくれました。サウジアラビアを縦断してUAEに入って帰ってきました。
藤島アブダビからは?
忽那ダイレクトに成田まで飛んでいました。今、本当にほっとしていますね。
2月28日に空爆が始まって1週間後には日本政府が帰国支援でチャーター機を2回出すのは決まったんですね。3月10日ぐらいまでに帰るか帰らないかの決断をしてくださいってバーレーンの日本大使館から連絡が来ました。でもそのとき中東リーグは中止という判断をしてなかったんですよ。帰るかそれともプレーをするか二択を迫られました。僕のことを思ってくれた日本人の方、両親も帰って来いと言いました。
藤島両親はそう思いますよね。
忽那でも僕はがんの体験を通じて、人生の中で後悔を残して死ぬことの怖さを体感したんですよ。中東リーグはまだ中止が決まってない中、仲間を残して帰ると後悔が残ると思ったんですね。なので、大使館の人に「帰れません」と。そのわずか4日後に中東リーグが中止になったんですけど。
藤島だったら乗っとけばよかったとは思わないでしょう。
忽那思わなかったですね、僕はそれでこそ、忽那健太だなと思ったんですよね。僕の好きな言葉が「やるか、めっちゃやるか」なので、めっちゃやるっていう方を。
藤島東日本大震災のとき釜石シーウェイブスにオーストラリアのスコット・ファーディーというフランカーがいて、大使館がすぐ車で迎えに来た。ところが残って、炊き出しをしてずっとクラブメイトと過ごした。彼はその後契約の事情でオーストラリアへ帰るんだけど、ブランビーズに入ってワラビーズになって、釜石の人たちが喜んだんですよね。それを思い出しましたね。
忽那3月21日にシーズンの終了パーティーがあって、そのときチームのジェネラルマネージャーの人が「あのときに健太が残ってくれたことがすごく嬉しかった」と言ってくれたんですね。残るという決断をしたことで、チームが真の意味で認めてくれたと感じました。
藤島ここからはスコットランドの話を。ホンダのプレー生活が終わって、闘病の時期があってスコットランドに行きますね。エジンバラのヘリオッツ。名門の、本当に古い格式があるクラブでしょう。
忽那はい。エジンバラって、ハリー・ポッターに出てくるような建物と言いますか、石畳で本当に中世のイギリスの町並みが残っているようなところで、そこにある由緒正しきクラブです。
藤島確か、仕事をしていたんですよね。
忽那引っ越し屋でアルバイトをしました。物価が高かったので、2〜3カ月ぐらいで貯金が底をつきそうだったんです。朝の7時から夕方6時ぐらい、週45時間働きました。その後ラグビーのトレーニングに行ったり筋トレに行ったりして、そこから英語の勉強して、次の日朝の6時に起きて。土曜日は基本的には試合なので朝ぐらいまで飲んで、日曜日は寝てそのまま、というのを2年間やりました。
スコットランドのアマチュアリーグの選手たちはみんな仕事をしていました。しかもちゃんと勉強してないとできないような仕事です。チームキャプテンは医者で、あとは税理士とか大学の先生、不動産屋とかバンカーもいました。
僕の中で心に残っているエピソードがあるんですけど、2月ぐらいのことです。練習後、みんなシャワーを浴び終わって普段着に着替えて食堂に行くんですけど、彼らはまたスーツを着直していたんですよ。「何してるの」って聞いたら「今忙しい時期で、これから仕事に戻るんだ」。「ラグビーやめたいと思ったことないの」って聞いたらキョトンとした顔で「いやいや健太、これがラガーマンなんだ」って言ったんですね。ラガーマンである前に1人の人間として自立しなきゃいけないと思っていたので、それを体現する姿に、これはいい話を聞けたなと思いました。僕も正直きつかったんですよ。でも彼らを見たときに俺はここで負けちゃいけないんだと思いましたね。
藤島ちょっと質問なんですけどね。スコットランドの選手には、メンタリティとか日本の選手と違う試合前の持って行き方とかあるじゃないですか。突然火がつくみたいな。何か経験しました?
忽那練習前リラックスしているんですけど、練習に入ったときのスイッチの入り方がすごくて、フルコンタクトのときの目の血走り方もすごいんですね。やり合って手加減しない。日本では、仲間同士だとどうしても力を抜きがちだと思うんですけど彼らはやり合う。つかみ合う、でも決して拳は振り下ろさない。練習が終わったら引きずらない。
そういえば試合中すごくやり合った、険悪な感じだった敵チームの選手がいたんですけど、僕たちが1点差か何かで勝ったんですよ。喜んでいるとき、トントンと肩を叩かれて振り返ったら、その選手がいたんです。彼は右手をぱっと出して、「良いプレーだった!おめでとう」って英語で言ってきたんですよ。なんてかっこいいんだと感動しましたね。その選手とはアフター・マッチ・ファンクションでも飲んで仲良くなりました。
藤島本当に羨ましいような経験を。
急にバーレーンでそういうことになって帰らなきゃいけなくなって、これから何をしたいか、考えると色々あるでしょう。
忽那燃え尽きてはいないので、選手としてまだチャレンジしようと思っています。同時に伝えることも使命だと思っています。バーレーンで経験したラグビーの良さ、戦争体験も伝えていきたいなという思いがあります。ラグビーを教えたい気持ちもありますし、やりたいことはたくさんありますね。
藤島プレイヤーとしてまだ31歳。
忽那まだ日本人がプレーしてない国でプレーするのも面白そうと思いますし日本もすごく気になっています。
藤島リーグワンなんかも可能性はなくはないんじゃないですか。
忽那プレーまたはプレー以外のところでもチームメイトを活気づけられる、鼓舞できるところはあると思うので大募集中です。9番から15番、どこでもできるので。
藤島しばらくはどんな予定ですか?
忽那愛媛県にある愛媛大学医学部ラグビー部で3カ月ほどコーチをします。
一般社団法人TRY For
LIFEというのを昨年立ち上げました。愛媛県の小中学校にラグビーボールを届けるという活動です。キャリア教育という形で自分のがん経験や海外での経験を子どもたちに総合的な学習の時間で伝えるような活動も松山市の教育委員会さんと連携してやります。
藤島もちろんクラブを探すわけでしょう。
忽那はい。呼んでもらったらトライアウトなり受けに行きますし、海外のチームからも話を複数もらっているので、6月、7月くらいまでには方向性を決めて、そこに向かってもう「めっちゃやる」だけですね。「やるか、めっちゃやるか」なので。
藤島今月のゲスト、バーレーン・ラグビークラブでプレーをされていた忽那健太さんでした。ありがとうございます。
忽那ありがとうございました。
4月6日ラジオNIKKEI放送
「藤島大の楕円球にみる夢」
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by 松原孝臣
- ラジオ番組について:
- ラジオNIKKEI第1で放送。PCやスマートフォンなどで、ラジコ(radiko)を利用して全国無料にて放送を聴ける。音楽が聴けるのは、オンエアのみの企画。放送後も、ラジコのタイムフリー機能やポッドキャストで番組が聴取できる。動画版はU-NEXTで配信中。
4月6日放送分ポッドキャスト
http://podcasting.radionikkei.jp/podcasting/rugby-radio/rugby-radio-260406.mp3
U-NEXTでは画像付きの特別版を配信
https://www.video.unext.jp/title/SID0100786